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国チャレ 第176回 [穴埋め]

("03年11月29日 出題 / アクセス数 315)

※ 答案提出は 2回まで とさせていただきます。

  次の文章の空欄 ( 1 )( 3 ) にあてはまる語を、それぞれの選択肢から1つずつ選べ。

( 1 )
 ア.抵抗  イ.醜悪  ウ.残酷  エ.実在  オ.生命

( 2 ), ( 3 )
 ア.だが  イ.それ故  ウ.なぜなら  エ.また  オ.その上


  普通の生活者は、その追求しているものが、社会通念の上における虚栄や、社会通念の上における実利のみである。一個のリンゴの中にその販売価格を見るのが商人であり、その味を考えるのが一般消費者である。美術家は、その色彩と形の美しさを見る。純粋の消費者、純粋の美術家というものは存在しないが、比較的に言えば、生活者はリンゴの色彩に無関心である。美術家が、その形と色彩の特色を抜き出して、抽象化し、純粋化して紙の上に描いた時に、はじめて生活者は、その形と色の喜びを理解する。それと似たような形で、生活者は、自分の生活の中にある真の生命感を悟らないで、実利と虚栄を追い求めるのに全精力を使う。その生命感を抽象化し、言葉を通して置き直して見せる文芸家によって、生活者は自分が行っている生活や、行う可能性のある生活の中での自分の生きている実感を、実利に基づく喜びや悲しみとは別個の溌剌(はつらつ)としたものとして初めて理解する。

  一枚の木の葉の美しさ、幼児の微笑の美しさ、自分の平常な生活の中にある意味、歩くこと、聞くことの意味は、生活者にとっては捕捉(ほそく)しがたい。文士もまた通常の生活者である時は、生の実相を、社会や家庭の中で他人との接触、交渉、比較などの中で見出すのが常である。それ故普通の生活を営んでいる文士にとっては、生命感は、対人交渉の中で味わわれ、そのようなものとして表現される。動かし難いものと意識される秩序の中に生きている人間は、善と悪や美と醜の判断を明確に持っていて、その善の標準から自他の人間の行為や容姿を判断し、その区別感覚で人間たちを輪郭づける。しかし秩序が動揺しているか、自己のその秩序についての判断が動揺している時は、その区別感覚の輪郭の線がぼんやりし、判断は曖昧(あいまい)にある。

  しかもなお、そのような人間関係の中に、普通の生活者は、実利と社会通念による虚栄の満足感とをしか見ようとしないが、文士は人間性全体の相互関係にある力の働き合いや争いや調和の根本形を見ようとする。生活者にとっては多くの場合意味を持たないと思われるものに文士は生命の表現の意味を見て、そういうものの組み合わせの図式を考える。しかしそういう人間のエゴの組み合わせは悲しい、または醜い、または残酷な印象に集中される。生命が拡大しようとして他のエゴや権力に抑止されるときに、初めて生命の存在感は現れる。( 1 ) 感が生命の実在を認識させるのである。( 2 ) 現世的な、または社会的関連的な文芸作品に描かれる生命の相は、一般に否定的であって、悲哀、苦痛、倦怠(けんたい)、羨望(せんぼう)、不安、憎悪等の感情をもって初めて生命が描き出されるのが常である。

  だが現世を放棄したものにとっては、実在自体が美しく意識される。対人関係から解放された時、急に空の美しさ、山の美しさ、木の葉の美しさなどが意識される。人の姿の美しさもまた日常の生活を共にしている人間に対しては感じられず、自分と利害関係を持たない異性に突然逢(あ)った時に強く意識される。そういう肯定的な生命感が最も強く感ぜられるのは、その人間が死ぬことを意識した時である。自分の生命が無に帰し、この世の自然と人間のすべてが自分から失われるという意識を持っている人間にとっては、虫も木の葉も、嫌悪(けんお)と憎悪とで今まで接していた人間も、悉(ことごと)く美しい本来の姿を現わす。( 3 )、その人間にとっては、その時、現世における利害の争いと虚栄の執着が失われ、自然と人とは、その単純な存在として意識されるからである。

  そして現世否定によって安心感を得る傾向の強い日本人は、現世の場における力や力の戦いを描くのが下手である。そして遁世的(とんせいてき)生活によって自然の美を新しく見出すと同時に、死の意識によって、人と物との個としての生命を把握することが、伝統的に巧みである。

(伊藤整『小説の認識』)


ヒント (全体要旨)

(前半) 普通の生活者は美術家が抽象化し紙の上に描いたものを見て、はじめてその形と色の喜びを理解するのだ。それと同じことが、文士との間にも言える。普通の生活者は、文士がその生命感を抽象化し言葉を通して置き直して見せることによって、初めて生活の中での自分の生きている実感を理解する。

(後半) そうした文士には二通りある。通常の生活を営む文士は、対人関係の中で、その生命感を味わい、それを否定的に表現しようとする。それに対して、現世を放棄した文士は、人間関係やエゴから解放され、もの本来の美しさ、肯定的な生命感が最も強く意識される。利害の争いと虚栄の執着が失われ、自然と人間が単純な存在として意識されるからである。そして、後者こそが、伝統的な日本の文学であったのだ。


解 答

(1) ア  (2) イ  (3) ウ


成績優秀者

着順ハンドル素点答案到着時間
 小杉原 啓 さん [2連覇]100+ 11/ 29, 23:12.44
 ひでゆきボン さん100+ 11/ 29, 23:13.33
 neo さん100+ 11/ 29, 23:24.25
 LION さん100+ 11/ 29, 23:25.27
 ろろ さん100+ 11/ 29, 23:31.59
 teki さん100- 11/ 30, 00:00
 辻。 さん100- 11/ 30, 00:00
 とらいしくる さん100+ 11/ 30, 01:04
 圭太 さん100+ 11/ 30, 01:52
10 みかん さん100+ 11/ 30, 23:49
11 cappuccino さん100+ 12/ 1, 16:03
12 フィリピンの鷹 さん100+ 12/ 1, 16:51
13 tomh さん100+ 12/ 1, 17:42
14 みぞにゃん さん100+ 12/ 4, 22:32
15 zizi さん100+ 12/ 5, 20:38
16 集中豪雨 さん70- / ××(2) 11/ 30, 00:00
17 CRYING DOLPHIN さん60 / ×(1) 11/ 29, 23:23
18 レディゴダイバ さん60 / ××(1) 11/ 29, 23:45
19 ・・・・・??? さん60 / ×(1) 12/ 4, 10:43

 (参加 19名 / 12月6日 確定)

(※) 金曜日深夜にフォームの遅配があったそうなので、かんなさんのロスタイムを認めました。


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Author: Mikitty
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